当ブログに辿り着いていただき、ありがとうございます。自分史第6弾は、結婚生活と1ヶ月早い出産を振り返ってみました。
前回の自分史はこちらです↓
マスオさん的同居生活のスタート
私は短大卒業、旦那さんは大学卒業というタイミングで、結婚生活が始まりました。私は、学生時代にバイトをしていたアクセサリー屋のバイトを辞めており、旦那さんのお給料だけでは独立は難しいと、母の提案でマスオさん同居が始まりました。
かつては、妹との2人部屋に大人1人が同居していたこともある部屋は、シングルベットを2台並べられるくらいはスペースがありました。
他人との同居についてはこちらの記事へ
旦那さんは大阪勤務だったので、朝は早く出勤、夜も遅く、若かったとはいえ、体力的にはキツかったんじゃないかと…今は理解できますが、当時は偉そうで、口が悪い旦那さんとは、よく喧嘩をしてました。
喧嘩と言っても、怖くて何も言えないことが多く、溜め込んでいました。両親を巻き込んでしまうこともあり、「育て方が悪い」と両親に言われた時は、悲しく辛かったです。
妊娠生活〜1ヶ月早い出産
妊娠初期は、つわりがひどく、食べたものをよく戻していました。妊娠初期も何も関係なく、自分の商売をしていた母からは「気合いが足りん」みたいなことを言われました(笑)
安定期に入ったら、仕事をしてもいいよと産婦人科では言われましたが、仕事を探す気にもならず、自宅で専業主婦をしていました。もともと料理は好きだったので、両親、妹、私、旦那様の5人分の食事の用意は苦ではなかったです。
ただ、体を動かすことがなかったので、体重は増え気味で、もうこれ以上は太らないでというところまで太りました。なんとなくの記憶しか残ってないのだけど、母方の祖母が少しの間、来ていたような気がします。
糖尿病なのに甘いものが好きな祖母は、近所のスーパーであんぱんやアイスを買ってきて、私に勧めてきたのを、なんとなく覚えています。体重増加と夜、眠れない日が続き、体を動かした方がいいと、従姉妹の先輩ママが「拭き掃除がいいよ」と言っていたのを思い出し、拭き掃除をしていました。
そうそう、いつだったか、父方の祖父が亡くなったんです。そこで、久しぶりに親戚が集まったことがあって、その時に教えてもらってたんですね。
両親ともに出身は鳥取なんですが、鳥取は妊婦がお葬式に出ると、赤ちゃんが連れて行かれるとかで、私は式場には行きませんでした。話がそれましたが、拭き掃除を毎日していたら、今度は動きすぎで、7ヶ月目の検診の時に、お腹が張ってるから安静にと言われてしまいました(汗)
体の変化に戸惑いと不安
学生時代の友人のほとんどが就職していて、なんとなく社会から置いてきぼりな気がして、少し寂しさもありました。自分の体は、だんだんお腹と胸が大きくなってきて、足はむくみがちで象みたいだし、自分の体型を見るのが嫌でした。
出産に関する本や雑誌、当時からあった「たまごクラブ」を読んで、出産の痛みに耐えられるのかという不安があったり、情緒不安定な時期もありました。
妊娠中の便秘
私は中学生の時に、「便は毎日出るもの」ということを知ったくらい便秘歴が長く、妊娠中もひどい便秘に悩んでました。小学校の給食以来、飲んでいなかった牛乳を飲めば出るからと、無理やり旦那さんに飲まされましたが、まったく効き目なし。
便秘、お腹の膨らみから、胃が圧迫されたのか、つわりの時期を過ぎたのに、苦しくて、吐き気がしました。9ヶ月になろうとする頃の検診で、相談をすると、薬が処方されました。
緊急入院
妊娠中、病院が処方してくれたとはいえ、できるだけ薬は飲みたくなかったのですが、飲まざるを得ない状況でした。ですが、一般的な下剤と違い、効果は緩かったんでしょう。
出産予定日のちょうど1ヶ月1日前の朝、お腹がキュ〜っと張って痛みは感じるけどスッキリ出ない…。恥ずかしいのですが、トイレでこもっていると、出血しました。
仕事に行っていた母に電話をすると、「病院に電話しなさい」と冷たく言われました。この前の日の夜、原因は忘れましたが、母と喧嘩してました。病院に電話をすると、すぐに来るように言われました。不安な気持ちを抱えながら、バスと電車を乗り継ぎ、産婦人科へ。
診察してもらうと、子宮口が8cm開いているので、即入院となりました。そろそろ入院準備をしておくように母から言われていたのに、まだ足りないものがあり、荷物を持ってきて欲しいとの電話をした時に、怒られました(笑)
お昼には母が病院に来て、前の日のことを根に持ってか、まだプリプリしてました。私のために出された昼食は、私が食欲なくて食べれなかったので、プリプリしながらも母が食べて帰りました。
入院は、個室希望でしたが、とりあえず、まだ生まれるには1ヶ月早いので、陣痛を抑制する点滴を打っており、長引くかもしれないからと、団体部屋に入ることにしました。
それでも、入院した時はまだ1人でした。夕方、1人入られて、夜中は彼女のイビキがひどかったですが、それだけじゃなく、眠れない夜になりました。
1ヶ月早い出産
その夜、何時くらいからか、お腹の痛みで眠れなくなりました。陣痛なんて、初産の人には分かりにくいですね。これが陣痛なのか、異常な痛みなのか。痛みがひどくなると、ナースコールをして、看護師さんを呼び出してました。
下着の中が濡れていましたが、トイレにも行けず、看護師さんに伝えると、大量に出血していました。大人になって生まれて初めて、下着を変えてもらいました。
翌朝5時ごろ、もう陣痛が止まらなさそうだから出産になるかもと、自宅に電話をするように、当時、まだ携帯電話がなく子機を持ってきてもらい、電話をしました。
旦那さんは仕事へ行き、母が来てくれました。午前中、分娩室へ行き、そこで朝食が出ました。体力使うから食べておくように言われ、無理に食べましたが、吐きました。
途中、痛みで泣き出してしまうと、夜中の優しい看護師さんから年配の怖い看護師さんに変わっていて、「お母さんになる人が何泣いてるの!」と怒れました(泣)
なんだかんだ痛みに耐えながら、生まれてきたのは夜の19時ごろ。女の子でした。感動というより、終わった〜って感じで、ホッとしました。
産後〜退院まで
ちょうど丸1ヶ月早く生まれても、体重は2,700g近くあり、臨月までお腹にいたら3,000gは超えていたであろう重さでした。
体重もあり、命に別状はなかったのですが、生まれるまでの最後の「1ヶ月」は、体温調節やお乳を吸う力がつくという大切な期間らしいです。
そのため、保育器から出るとすぐに体温が下がってたし、ミルクも同じ日に生まれた子より、うまく飲めませんでした。産後は翌日から母子同室の産婦人科でしたが、ほとんど赤ちゃんは保育器に入れられていて、夜中も授乳する必要がなかったので、他のお母さんより、ぐっすり眠れました。
日中は、少し部屋に連れてきてくれましたが、起こさないとお乳の時間になっても寝ているし、体温は下がるしで、すぐに保育器へ戻されました。お乳を吸ってもらえず、乳腺炎になりかけ、保冷剤を胸に入れていました。それでも、途中経過で一緒に退院できると思うと告げられ、無事、一般的な期間で一緒に退院することができました。
まとめ
長くなったので、今回はここまでです。
小出しになりますが、振り返りをしていると、忘れていたことも蘇ってきますね。
もっと詳しいエピソードがありますが、先日出版した電子書籍にも書いているので、省略します。
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